たっちー の ひとりごと

今昔の思い出や、心に残った事を書き留めていきます。

僕の愛車 その3

 

新車で購入して20年、走行距離19万2500キロ。もうすぐ20万キロに達しますが、一度も交換、修理をしていないものが多くあります。

まず、室内灯、メーターランプ、クラッチ、エンジン、ワイパーモーター、ウォッシャー、サンルーフ、サスペンション、パワーウインドウ、エアコン、セキュリティなどです。

本当に丈夫で長持ちだなと思う反面、不思議にも感じます。特に室内灯や、メーターランプが20年一度も切れないなんてとても考えられません。ただの電球ですから、メーターランプなど、夜間はずっと点いているわけで、使っていないわけではないのです。室内灯は基本的にドアの開け閉め時だけですが、それでも相当数開け閉めしています。スピーカーなどは、ボイスコイルや、コーン紙がボロボロなってしまい、交換しました。それぐらい環境が悪い状況ですが、電球はびくともしません。

最近、テレビでお面や人形に何かが宿るという話をしていましたが、もしそうなら僕の車も何かが宿っても不思議ではないと思っています。気持ち悪いと思われるかもしれませんが、僕は毎日帰宅して車を離れるときに「おやすみ」を言います。

僕は、誰が何と言おうと、この車には何かが宿っていると信じています。

 

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父親のこと

今月末父親の誕生日を迎えます。生きていれば85歳になっています。29年前、父親は56歳の若さで他界しました。今年僕はその年になりました。父親は56歳で止まっています。つまり、今年を境に父親は僕よりもどんどん若くなって行くのです。父親を亡くした時からずっとこの年を待っていました。というか、この年を迎える前に死ぬべきのような気もしていました。父親は亡くなる随分前から腎臓の病にかかっていました。そして、亡くなる13年前から人工透析を行っていました。当時、人工透析で15年以上生きた前例がなく、もし後2年続けられたらギネスに載ったはずです。

父親が亡くなるまでの一年間はあまり見舞いに行きませんでした。大好きな父親だったにも関わらず見舞いにいきませんでした。今では本当に後悔していますが、おそらく弱っていく父親を見たくなかったのかもしれません。本当に後悔しています。

しかし、一番後悔しているのは、僕の腎臓を提供しなかったことです。確かに当時の腎臓移植技術は今とは比べものにならないくらい成功率が低かったと思います。成功率が低いから提供しなかったのか?自分の腎臓が一つ無くなるのが怖くて提供しなかったのか?当時の自分の心の中を覗いてみても答えが見つかりません。いや、きっと腎臓が無くなることが怖くて言い出さなかったと認めたくなくて逃げているのかもしれません。どちらにしても医者にそのことを相談しなかったことは事実です。

その時のことを思い出すと涙が止まらなくなります。そんな僕が今年父親が亡くなった時と同じ年齢になりました。今月末の父の誕生日と、命日の日には二人で一緒に酒を交わそうと思います。二人だけでゆっくりと。

皆既日食&金星の太陽面通過

2年前、皆既日食がありました。名古屋は生憎、曇り空でしたので、高速で西へむかいました。雲が切れていたからです。会社には遅刻しましたが、何とか撮影できました。IPADに専用の高倍率レンズを装着しての撮影で、何とか撮影できました。

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太陽に金星が重なる事象もこの年にありましたが、やはり撮影しました。64倍ズームでフィルター挿入しての撮影です。金星が円くて感動しました。

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